たかのプロ野球雑談記

野球が好きな大学生です。野球メインでたまに漫画の話もします。

攻守の完璧なバランス〜強竜打線〜

強竜打線を知っているだろうか。恐竜打線とも呼ばれるこの打線は、中日ドラゴンズの打線を指す愛称です。今回は中日史上最強とも言われる2006年の強竜打線を紹介します。

 

この年は落合監督3年目のシーズンで、1年目の2004年以来のリーグ制覇を目指していました。

この年の中日は強力な投手陣と、攻撃力があり、守備も鉄壁な野手陣のバランスが良く2年ぶりのリーグ制覇を果たします。

ちなみに、2004年から2011年の落合監督指揮下の中日は毎年Aチームでリーグ優勝も4回果たすという黄金期でした。

 

まずは打線を見ていきましょう。

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布陣は上の通り。1、2番を二遊間の「アライバコンビ」の荒木雅博井端弘和が守ります。この2人は2004年から2009年まで共にゴールデングラブ賞に輝いています。

3番には福留孝介が入りました。福留は、2006年シーズン前のWBCの日本代表選手に選ばれ、準決勝の韓国戦で代打で出場し先制の2ランを放つ。松下賢次アナウンサーの「生き返れ!福留!」という言葉とともに放たれたホームランは多くのプロ野球ファンの心に残る、伝説となっています。

シーズンでは、開幕は5番に入っていたが3番を打ってた井端の不調もあり、3番に昇格。この年に2年連続となる最高出塁率と、2002年に続いて2度目の首位打者のタイトルを獲得します。

4番は中日2年目のタイロン・ウッズが務め、自己最高の47本塁打で2年ぶりの本塁打王、球団最高記録の144打点で打点王に輝きます。つまり、福留とウッズの2人で野手3冠を独占していたということになります。

5番には立浪和義からサードのポジションを奪った森野将彦が入り、この年に初の規定打席に到達しました。

6番には来日4年目で中日最終年となったアレックス・オチョアが入った。彼は2004年にサイクルヒットを達成しているが、MLBNPBの両方でこれを達成しているのは彼が唯一です。

7番には主に選手会長井上一樹が、8番には谷繁元信が入ります。

守備固めに英智奈良原浩川相昌弘渡辺博幸。代打には立浪和義高橋光信と役者が揃っていました。

この年の投手陣を見ていきましょう。川上憲伸が17勝、朝倉健太が13勝、この年にNPB史上最年長である41歳でノーヒットノーランを達成した山本昌が11勝、佐藤充中田賢一がそれぞれ9勝、7勝と先発陣は盤石です。さらに、リリーフ陣も中継ぎの岡本真也平井正史鈴木義広、抑えの岩瀬仁紀と隙がありませんでした。

 

この年の打線を印象付ける試合が、マジック1で迎えた10月10日の巨人戦です。4回にウッズが先制の3ランホームランを打つものの、二岡、高橋由伸、小久保のソロホームランで同点に追いつかれます。

同点で迎えた12回表、先頭の谷繁がヒットで出塁。11回から登板していた岩瀬が三振となるも、1番荒木、2番井端が単打で出塁します。1アウト満塁となったところで、福留孝介がタイムリー、4-3と勝ち越しに成功します。

その後打席に入るのは、前日のヤクルト戦で満塁ホームランを放ち、この試合でもスリーランを放っているウッズです。ここでなんと、2夜連続の満塁ホームランがでます。

さらに、森野出塁で奈良原のダメ押しタイムリーで9-3。裏には守護神の岩瀬が抑え、2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

このシーズンはこの様な、荒木が出塁、井端がヒットエンドラン、福留とウッズでランナーを返すという得点パターンが定番でした。

 

日本シリーズではヒルマン監督率いる日本ハムと対戦します。1戦目は勝利したものの、2戦目から4連敗、日本一を逃すこととなりました。しかし、同カードとなった翌2007年には日本ハムを下し日本一となります。

2010年にNPB史上最多の47ホールドを記録する浅尾拓也はこの年に大学生・社会人ドラフト3巡目で中日に指名されます。

さらに、2006年オフの中村紀洋の加入、2007年オフの和田一浩の加入もあり、中日の黄金期は2006年以降も続いていくこととなります。

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