今回は中日ドラゴンズの名応援歌を紹介していきます。早速見ていきましょう!!
福留孝介
【歌詞】
「①すわこそゆけの命に 気迫のフルスイング
凱歌が上がるスタンド バックスクリーンへ」
②彼方の空を見据え 挑め夢のステージ
飛び出せすべて捧げて 扉の向こうへ」
1995年ドラフトで高校生の選手に対しての史上最多の7球団による競合の末、近鉄が交渉権を得るが入団を辞退。
1998年ドラフトで中日を逆指名しプロ入りします。
プロ入り後は日本球界在籍期間に2度の首位打者に輝き、2008年からはメジャーに移籍。
2013年に阪神に移籍し、日本球界復帰。2021年からは再び古巣中日に戻ることとなりました。
2021年現在、NPBの最年長選手となります。
この応援歌は福留が幼少期から憧れている立浪和義の応援歌の流用で、小笠原道大に使われたこともありました。
①は2005年まで、②は2006年から使われた歌詞で、②は福留のメジャー移籍を暗示するような歌詞でした。
落合博満
【歌詞】
「三冠落合 広角打法 レフトへライトへ
ホームラン」
高校時代に7度の野球部の入部と退部を繰り返す。大学を中退し、プロボウラーを目指すなどの異例な経歴の持ち主。
東芝府中を経て、1978年のドラフト3位でロッテに指名されます。
1982年、85年、86年には三冠王を達成。三冠王の3回達成は落合が唯一となる記録です。
後に4選手とのトーレドで中日に移籍。ここでも2度ずつ本塁打王と打点王のタイトルを獲得します。両タイトルとも両リーグでの獲得は史上初のことで、打点王に関しては現在でも落合が唯一です。
1993年オフにこの年に誕生したFA権を行使し巨人へ。
移籍後初年度の1994年10月8日には、巨人と中日が同率1位で首位に並び最終戦を迎えた「10.8決戦」の試合がありました。
この日、先制ホームランと勝ち越しのタイムリーを放ち、前年まで居た古巣中日を下し、巨人はリーグ優勝を果たしました。
引退後、2003年10月8日に中日の監督に就任することが発表されます。
奇しくも同じ日付の1994年10月8日は、前述の「10.8決戦」で、その時中日を下した選手が中日の監督を務めることになりました。
井端弘和
【歌詞】
「光の速さで突っ走れ ドラマチックに
ダイヤモンドを駆け抜け 魅せろよ井端」
中学生の時、城南品川リトルシニアに在籍していました。
野村克也の妻、沙知代さんがオーナーを務める港東ムースとの試合をきっかけに、野村克也本人から電話をもらい、その時の助言により、堀越高校に進学しピッチャーから遊撃手に転向することとなります。
中日時代は荒木雅博との二遊間の「アライバコンビ」で名を馳せ、遊撃手として5度のベストナイン、7度のゴールデングラブ賞を獲得しました。
2013年WBCでの3月8日に行われた台湾戦では、9回2アウト1塁、2-3の一点ビハインドの場面で打席に立ちます。1塁ランナー鳥谷敬が盗塁。その後同点のタイムリーを放ちます。
この時の実況・清水俊輔アナウンサーの「鳥谷がスタートしている〜!」や解説の工藤公康の「なんてすごいんだ‥(恍惚)は話題となりました。↓
京田陽太
【歌詞】
「青き大空に 今勝利の華を 輝くその翼で
示せよ京田 オイ! オイ! 京田!
オイ! オイ! そーれ!」
2016年のドラフト2位で中日に指名され、プロ入り。
2017年から1番・遊撃手としてスタメンに定着し、規定打席にも到達。長嶋茂雄の153安打に次ぐ、セ・リーグ新人史上2位の149安打を記録します(阪神の近本光司が2019年に159安打を記録したため、現在は3位)。
この年新人王を獲得し、これは球団では1998年の川上憲伸以来の19年ぶりのことでした。
2019年はUZR(守備の指標)、守備率、刺殺数、補殺数、失策の少なさのいずれも京田が巨人の坂本勇人に勝っていたのにも関わらず、坂本がゴールデングラブ賞に選ばれます。この事はゴールデングラブ賞の投票制度に対する物議を醸すこととなりました。
2020年シーズンからは福田永将の後を継ぎ球団会長に就任します。
井上一樹
【歌詞】
「(前奏)轟々海鳴り響く 戦向かう船の上
ただそのときだけを待つ
武士(もののふ)が如く
男一矢放つとき 燃ゆる想い放つ時
悠然と立ち誇る 一樹(いつき)よ
我が人生(みち)の 心(ここ)に在る
(本編①)高く遠くまで飛ばせ みんなの希望をのせて
桜吹雪の道をゆく 一樹 一樹 それ一樹
(本編②)遥か感激の空へ 大きく唸りを上げて
燃える拳に誓い込め 飛ばせ一樹 それ一樹」
鹿児島商業高校時代には投手兼外野手として甲子園に出場。高校通算で40本塁打を記録しているものの、投手としてドラフト2位でプロ入り。
しかし、投手としては良い成績が残せず1993年のシーズン途中から野手に転向します。1998年に就任した水谷実雄打撃コーチの指導により打撃が開花。
1999年には開幕から21試合連続安打を記録するなどし、中日のリーグ制覇に貢献します。2006年から井端弘和に代わり中日の選手会長に就任しました。
現在は阪神タイガースのヘッドコーチを務めます。
応援歌の前奏中の一樹は「いつき」と読みますが、実際の名前は「かずき」です。
2005年までは①の歌詞が使われ、翌年からは②が使われました。
和田一浩
【歌詞】
「勇む力 踊る鼓動 快音を打ち鳴らして
夢奏で 沸かすリズム 刻め一浩」
西武時代、30歳である2002年シーズンに初めて規定打席に到達した、遅咲きの選手。2005年には首位打者と最多安打のタイトルを獲得します。
2007年オフにFAで地元の岐阜県から最も近い中日に移籍し、2010年には打率.339、37本塁打、93打点のチーム三冠の成績で中日のリーグ制覇に貢献。
面白いのがこの年(2010年)のシーズンMVPに関してで、和田一浩は当時最年長の38歳でこのタイトルに選ばれます。
パ・リーグMVPは最多勝投手、ホークスの和田毅で両リーグで和田姓がシーズンMVPを獲得することとなりました。
2015年に史上最年長である42歳11ヶ月で通算2000本安打を達成します。
外国人汎用応援歌
【歌詞】
「海を越えて 夢を叶える 勝利掴め
我らと共に ラーラララーラ ラララララーラ
Let's go together Get the victory 」
専用応援歌が作られる前の外国人助っ人選手の応援に使われます。
近年ではアルモンテ選手に使われ、ロッテの石川歩選手が口ずさんだことで有名。