球場毎の初本塁打を気になって調べてみました。
今回は現在パ・リーグ球団が本拠地として使用している6球場を紹介します。
オープン戦を含まない、公式戦での記録を優先的に紹介します。
1.県営宮城球場(楽天生命パーク)
開場は1950年の5月5日。5月27日の球場完成前に開場したらしいです。
柿落としとなったのは、毎日対南海と毎日対大映のダブルヘッダーでした。
初本塁打はダブルヘッダーの第2戦で、毎日の別当薫が大映の林義一から記録しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%2588%25A5%25E5%25BD%2593%25E8%2596%25AB
画像はWikipediaより引用
別当薫はこの年、打率.335、43本塁打、105打点を記録。パ・リーグ初の本塁打王、打点王となり、同じくリーグ初となるMVPも受賞しています。
さらにこの年は盗塁も34個記録しており、岩本義行(松竹打線)と共にNPB史上初のトリプルスリー達成者となりました。
話は逸れますが、もう1人の初代トリプルスリー達成者である岩本選手の所属していた、松竹ロビンスはこの年「水爆打線」と呼ばれ、小鶴誠選手が歴代最多のシーズン161打点を記録しています。
2.大阪ドーム(京セラドーム大阪)
開場は1997年の3月1日。開場当初は、大阪近鉄バファローズが本拠地としていました。
初本塁打が生まれたのは、開幕戦となる4月8日の近鉄対ロッテ戦。
鈴木選手は近鉄一筋で16年在籍し192本塁打を放っている、いてまえ打線の顔のような選手でした。
2004年の5月に40才の若さで亡くなられています。
大阪ドームは、2004年の近鉄とオリックスの合併後にオリックスの本拠地となりました。
3.札幌ドーム
札幌ドームの開場は2001年の6月2日。
プロ野球の初試合となったのは、6月26日の巨人対中日戦でした。
記念すべき初本塁打を放ったのは、今でも現役の中日・福留孝介選手。
先頭打者の福留選手は、1回表に巨人のダレル・メイ選手の1球目を本塁打にします。
さらに、福留選手の背番号が1であったことから
「背番号1の福留孝介選手が、1回表に1番打者として球場第1球目を球場第1号本塁打」
と、「1」尽くしの記録となっています。
この本塁打の落下地点は、右中間スタンドの111通路20列147番の席で記念プレートが座席の床に飾られています。
「あれ、日本ハムは?」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、この時はまだ日ハムは北海道に移転しておらず、巨人と共に東京ドームを本拠地としていました。
日本ハムの北海道移籍後の札幌ドーム初本塁打は、2004年4月3日の西武戦で日ハムの小田智之選手が記録しています。
こちらはライト側の113通路25列付近に、記念プレートが設置されているようです。
4.福岡ドーム
現在は「福岡PayPayドーム」という大変ユニークな球場名となっています。公式球団歌の「いざゆけ若鷹軍団」中にもその名は登場しています。
歌詞は↓
https://www.joysound.com/web/search/song/830896
3番に入る前で確認できます。
そんな福岡ドームが開場したのは1993年4月2日。1992年シーズンまでは、ホークスは平和台球場を本拠地としていました。
公式戦での初本塁打は、1994年4月18日の試合で近鉄のブライアント選手がホークスの若田部健一選手から記録しています。
【伝説の助っ人インタビュー】ブライアント 「ワタナベから打ったHRは忘れない」 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
画像は引用
ブライアント選手といえば、仮面ライダーV3の「戦え!仮面ライダーV3」が原曲の異様にかっこいい応援歌が印象にあります。
オープン戦も含めると、球場初本塁打は4月2日のロッテ対日本ハムのオープン戦で日ハムのリック・シュー選手が記録しているようです。
5.西武ライオンズ球場(現・メットライフドーム)
公式戦初の本塁打は、1979年4月14日の西武対日本ハムの試合で生まれます。
本塁打を放ったのは2021年限りでホークスの一軍打撃コーチを退団した、立花義家さん。
立花義家 満塁で強さを発揮した左のスラッガー/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
画像は上記サイトより引用
日ハムのエースで、1981年に江夏豊とのトレードで広島に移籍する事になる高橋直樹選手から記録します。
ちなみに、これが立花さんのプロ入り後初本塁打でもあったそうです。
立花さんは2022年から、楽天の一軍打撃コーチに就任することが決定しています。
楽天、ホークスの他に、オリックス、西武、ロッテでコーチを務めていた為、日ハム以外のパ・リーグの5球団にコーチとして所属していたことになります。
1997年オフから西武球場ドーム化の工事が始まり、1999年にドーム化が完了しています。
そして初本塁打は、4月13日の近鉄戦で、近鉄の大村直之選手が西武の新谷博選手から記録しています。
大村選手といえば、近鉄消滅はダイエー、オリックスでプレーし通算1865安打を記録した選手です。
西武の選手の初本塁打は、同試合で田辺徳雄選手が高村祐選手から記録した物のようです。
オープン戦も含んだドーム化後の初本塁打は、3月20日の西武対巨人のオープン戦で松井秀喜選手が記録しています。
6.千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)
開場は1990年3月24日。
公式戦初本塁打は1991年5月25日のヤクルト、中日によって行われた球場初の公式戦で
生まれます。
ヤクルトの荒井幸雄選手が中日の小松辰雄選手から記録しました。
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190523-12
画像は引用
もっとも、この時ロッテはまだ千葉に移籍しておらず、川崎球場を本拠地としていました。
ロッテがマリンスタジアムで行った最初の試合としては、同年7月31日の西武戦が挙げられるのですが、この試合では本塁打は生まれませんでした。
1992年4月4日の開幕戦がロッテの千葉移籍後初のマリンスタジアムでの試合となるのですが、この試合でも本塁打は生まれません。
待望のロッテ及びパ・リーグ球団のマリンスタジアム第1号本塁打はが生まれたのは4月7日の対ダイエー戦。
ロッテのマイク・ディアズ選手がダイエーのL.タネル選手から記録しています。
この試合はロッテが5-1で勝利を挙げます。
ロッテ先発の牛島和彦投手は、血行障害の影響で1990年、91年に勝利が無かった為、この試合での勝利が1989年以来924日ぶりとなりました。
ディアズ選手といえば、西武の清原選手にヘッドロックをかけた事が有名です。
↑こちらの動画、打席に入ってるのが清原和博選手、マウンド上の選手がロッテの平沼定晴選手です。清原選手のヒップアタック後、ホームベース付近で清原にヘッドロックを掛けている大柄の選手がディアズ選手です。
オープン戦も含めた球場初本塁打は、1990年3月24日の巨人対ロッテのオープン戦で記録されています。
記念すべき本塁打を放ったのは、後に「幕張のファンタジスタ」と呼ばれるようになる、ロッテの初芝清選手。
このオープン戦当初はロッテの千葉移籍は決定しておらず、試合も巨人主催でした。