日本プロ野球史上で1人にしか達成されていない
珍しい記録をクイズ形式で紹介していきます。早速見ていきましょう。
1.NPB史上で唯一両リーグで打点王を達成している選手は誰?
A.山崎武司
B.落合博満
C.タフィ・ローズ
D.中村紀洋
↓に答えあり
B.落合博満
両リーグ本塁打王は3人、両リーグ首位打者は2人それぞれ達成した選手がいますが両リーグ打点王は落合博満の1人のみ。
ロッテ時代の1982、85、86年と中日時代の1989、90年にタイトルを獲得しています。
両リーグで本塁打王の獲得経験のあるの3人とは落合博満、タフィ・ローズ、山崎武司の事で、両リーグで首位打者の獲得経験のある2人とは江藤慎一、内川聖一の事です。
2.NPBにおける、通算最多登板の記録を持っている選手は?
A.岩瀬仁紀
B.金田正一
C.五十嵐亮太
D.江夏豊
↓に答えあり
A.岩瀬仁紀
プロ入り1年目の中日での1999年から15年連続で50試合以上に登板。通算では、1002登板を果たします。通算2位は米田哲也の949登板で50登板数以上の開きがあります。
3.NPB史上唯一の同年に本塁打王と盗塁王のタイトルを獲得している選手は?
A.秋山幸二
B.松井稼頭央
C.金山次郎
D.山田哲人
↓に答えあり
D.山田哲人
2015年に打率.329、38本塁打、34盗塁でトリプルスリーを達成し、本塁打王、盗塁王のタイトルも獲得しました。この両タイトルの同時受賞はこの年の山田が唯一です。
現役生活の中で本塁打王と盗塁王の両方を獲得したことのある選手に範囲を広げても、山田哲人の他に選択肢にあった秋山幸二、金山次郎の3人だけです。
金山次郎とは1940〜50年代に名古屋軍や松竹ロビンスで活躍した選手で、本塁打王を1度、盗塁王を3度獲得しています。
4.NPB史上最多の3球団での最多勝のタイトルを獲得している選手は?
A.涌井秀章
B.工藤公康
C.V.スタルヒン
D.藤井秀悟
↓に答えあり
A.涌井秀章
西武時代の2007、09年に2回、ロッテ時代の2015年と楽天時代の2020年に1回ずつ、最多勝のタイトルを獲得しています。
それぞれの選択肢の選手を見ていきましょう。
まずは現在のホークスの監督、工藤公康選手。
西武、ホークス、巨人、横浜と4球団を渡り歩き、最優秀防御率と最高勝率を4回、最多奪三振を2回獲得している選手ですが、最多勝のタイトルには縁がありませんでした。
V.スタルヒンは1リーグ時代から巨人や大映スターズで活躍し、プロ野球史上最多の6回、最多勝のタイトルを獲得している選手です。
藤井秀悟はヤクルト、巨人、日本ハム、横浜で活躍した選手で最多勝はヤクルト時代に1度獲得しています。
5.最年長猛打賞の日本記録を持つのは、1998年5月16日に44歳5ヶ月で達成した日本ハムの落合博満ですが、セ・リーグ記録を持つのは誰?
A.福留孝介
B.山崎武司
C.谷繁元信
D.山本昌
↓に答えあり
C.谷繁元信
監督兼選手として中日に在籍した2015年5月4日の阪神戦で猛打賞を記録し、これが44歳4ヶ月19日での最年長での猛打賞となりました。
山崎武司は44歳6ヶ月の最年長での3塁打の記録を持っています。
山本昌は50歳57日で試合に登板したプロ野球最年長記録を持つ投手ですが、48歳0ヶ月での安打と打点のセ・リーグ記録も保持しています。
現在NPB最年長は、中日の福留孝介。最年長猛打賞の記録が更新されるとしたら、達成するのはこの人ではないでしょうか。
6.5試合連続猛打賞の日本記録を持っている選手は西沢道夫ともう1人は誰?
A.イチロー
B.井口資仁
C.松中信彦
D.西岡剛
↓に答えあり
B.井口資仁
2003年の6月3日のオリックス戦から6月8日の日本ハム戦までで5試合連続の猛打賞を記録。
これまでの1997年のタフィ・ローズや2000年の小笠原道大の4試合連続猛打賞のパ・リーグ記録を更新し、中日の西沢道夫が1954年に記録したプロ野球記録に並びました。
西沢道夫について。
「10.8決戦」時の中日監督の高木守道や、名球会入りも果たしている立浪和義が、それぞれ2代目、3代目のミスタードラゴンズと呼ばれる一方、初代ミスタードラゴンズと呼ばれたのが西沢道夫です。
1リーグ時代から日本プロ野球で活躍した人物で、後に中日の監督も務めています。日本プロ野球史上最年少の16歳と4日で公式戦に出場した記録を持つ選手です。
7.6四球の1試合最多四球の記録を持っている選手は誰?
A.松井秀喜
B.落合博満
C.バレンティン
D.カブレラ
↓に答えあり
B.落合博満
これも答えは落合博満。中日在籍時の落合博満が1991年10月13日の試合で記録。
この年、落合博満とヤクルトの古田敦也は首位打者を争っており、古田が落合を僅差でリードして最終戦となる中日対ヤクルト戦を迎えます。
この日の試合で古田は試合に出場せず、落合には全打席故意四球を与え、この記録が生まれることとなりました。
その成果もあり、打率.340で古田は首位打者のタイトルを獲得しました。