今日は広島東洋カープの歴代の応援歌のうち、おすすめのものを10選紹介していきます。では、早速見ていきましょう。
新井貴浩
【歌詞】
「赤い心見せ 広島を燃やせ 空を打ち抜く
大アーチ」
まず紹介するのは「広島の応援歌と言ったらこれ!」と言っても過言ではない、新井貴浩の応援歌です。
駒澤大学の先輩である野村謙二郎の推薦もあり、1998年にドラフト6位で広島に入団します。
2005年には自身の慕う金本知憲に3本差を付け、43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得しました。
2007年オフに阪神に移籍しますが、2015年から広島に復帰、この応援歌も再び使われることになります。
2016年は広島の25年ぶりのリーグ制覇に貢献、自身も2000本安打、300本塁打を達成、シーズンMVPを獲得するなど本人いわく、「夢のようなシーズン」であったそうです。
菊池涼介
【歌詞】
「(前奏)始まりの鐘が鳴る 広島伝説
(本編)光を追い越して
メーター振り切り駆け抜けろ 止まらないぜ
韋駄天菊池」
守備の名手として知られ、二塁手として最多の8度のゴールデングラブ賞に輝いています。さらに、2020年には二塁手として初のシーズン守備率10割を達成しました。
打撃に関しても、シーズン7度、6年連続のいずれも日本記録の最多犠打を記録しています。また、2016年には最多安打のタイトルも獲得、田中広輔、丸佳浩との「タナ・キク・マル」トリオとしてチームに貢献しました。
2016年のシーズン終盤に菊池が慕い、後述する廣瀬純が引退すると、彼の応援歌が菊池の応援歌の前奏として新たに加えられました。
彼の守備は世界大会でも健在で2017年のWBCでは、その守備で世界を驚かせました。↓
田中広輔
【歌詞】
「赤く燃え上がる 夢見たこの世界で
研ぎ澄ませそのセンス 打てよ広輔」
東海大相模高校、東海大学時代には巨人の菅野智之と同期であった。JR東日本を経て、2013年ドラフト3巡目で広島に指名されプロ入りを果たします。
2014年4月24日に放ったプロ初本塁打となる飛球がリプレー検証を受け、同年5月26日の2本目の本塁打となる飛球が相手監督の抗議を受けるという珍しいエピソードの持ち主。いずれも検証の結果、本塁打となりました。
2017年には盗塁王と最高出塁率のタイトルを獲得しており、この両タイトルを同時に獲得したのはイチロー、山田哲人に次ぐ3人目の記録でした。
2020年オフに巨人から横浜に在籍した田中俊太は実弟。2019年3月29日の広島対巨人の開幕戦で初めてスタメンとしての同時出場を果たします。また、同年5月10日には広輔が横浜戦で、俊太がヤクルト戦でホームランを放ち、「NPBで別々の球団に所属する兄弟選手による同日開催の一軍公式戦でのアベック本塁打」という珍しい記録を残します。
松山竜平
【歌詞】
「闘志を燃やし 鋭く振り抜け
さぁかっ飛ばせ さぁ打ちまくれ
我等の松山」
愛称は「アンパンマン」で、これは大学3年の時に先輩から付けられたもの。登場曲には「アンパンマンのマーチ」や「アンパンマンたいそう」が使われた事も。
入団4年目の2011年から活躍し始め、2012年からは4番を務める事もありました。2018年には規定打席に到達し、打率.302、ops.834の好成績を残しました。
ヒーローインタビューでは「鹿児島のじいちゃんばあちゃん、今日俺やったよ!」と叫ぶのが定番となっていますが、同伴した他の選手に先を越されることもしばしば。
石原慶幸
【歌詞】
「南の夜空に赤く 輝くいちばん星 広島に優勝(ゆめ)を運ぶ 石原慶幸」
石原は「飛ぶキャッチャー」と呼ばれることがありますが、このきっかけとなったのが2006年5月31日の試合です。
ランナーを3塁に置き、石原がスクイズを行おうとする場面。相手投手がピッチアウトした球を打とうとして真横にジャンプしバットにボールを当てようとします。結果は失敗に終わり、3塁を飛び出していた栗原健太はタッチアウトになりました。
「一握の砂」事件と呼ばれるエピソードもあります。
2013年5月7日の横浜戦、横浜の攻撃のランナー1塁の場面でピッチャー久本祐一の投球を石原がこぼしてしまいます。球を見つけられないものの、足元の砂を掴んで1塁ランナー、石川雄洋を牽制。実際にはボールを掴んでいないものの、その仕草だけで石川の進塁を阻止することに成功したのです。
他にも、「アウトになったふりをして進塁」、「サヨナラデッドボール」など様々なエピソードを残している選手です。
2016年には自身初のゴールデングラブ賞とベストナインに選ばれ、応援歌の歌詞にもある通り、「広島に優勝(ゆめ)を運ぶ」こととなりました。