マシンガン打線を知っているだろうか。マシンガン打線とは、1990年代後半の横浜ベイスターズの打線のことである。ホームランは少なくとも、単打や二塁打の繋がる打線で集中的に得点する打線であったことが由来となっている。
リーグ優勝、日本一に輝いた1998年と、打率がセリーグ記録に輝いた1999年のどちらについて紹介しようか非常に迷ったがどちらもメンバーは殆ど変わらないことから、どちらもを並行して紹介しようと思う。
1.1998年
この年は45sをあげシーズンMVPに選ばれた守護神、「ハマの大魔神」こと佐々木主浩などの投手陣と「マシンガン打線」の野手陣がうまく噛み合う。
マシンガン打線を象徴する試合として、7月15日の巨人戦がある。この日の先発、斎藤隆が打ち込まれ、3回表終了時点で7-0と横浜の負けが濃厚だった。しかし、その裏に1点を返し、続く4回裏には一挙5点を返し7-6と追い上げる。その後も互いに点を取り合い、8回裏ツーアウト一塁から打席には佐伯貴弘が入った。この時点で12-10と2点のビハインド。巨人の抑え槙原寛己の2球目を打つが打球はライトフライに。スリーアウトとなり交代、のはずが審判によりボークが宣告され、打ち直しに。フルカウントからの8球目を打ち、今度は高橋の頭上を越えライトスタンドへ。同点に追いつくツーランホームランであった。
(参考までに、もし佐伯がボーク玉をヒットにしていた場合、打者走者がそれぞれ進塁しているのでボークは取り消され、佐伯のツーランが生まれることは無かった)
そして迎えた9回裏ツーアウト二塁、2番の波留敏夫がフェンス直撃のサヨナラを放ち、13-12で横浜が勝利。2試合連続で巨人にサヨナラ勝ちした横浜はこのまま首位をキープした。
10月8日に甲子園で阪神を破り、38年ぶりのリーグ制覇を果たした。
日本シリーズでは西武を4勝2敗で下し、これまた38年ぶりの日本一となった。シリーズ第5戦では、シリーズ最多記録となる一試合20安打を放つ。
1番の石井琢朗が盗塁王と最多安打、3番の鈴木尚典が首位打者に輝いた。また、内野手がゴールデングラブ賞を独占するなど、守備も磐石であった。
2.1999年
リーグ優勝こそ逃すが、「マシンガン打線」の完成形はむしろこの年であった。
チーム打率は、当時の日本記録となる.294。2003年にダイエーホークス のいわゆる「ダイハード打線」の.297に記録を抜かれることとなるが、DH制のあるパリーグと違い、ピッチャーも打席に入るセリーグでこの記録を残すのは至難である。
この年何と言っても注目すべきはセカンドを守るロバート・ローズ。打率.369、153打点、192安打で首位打者、打点王、最多安打に輝く。打率.369は当時の右打者最高打率である。(2008年、同じく横浜の内川聖一が.378でこれを更新)
しかし、投壊によりこの年はリーグ3位に終わる。
翌2000年には金城龍彦が新人王と首位打者に輝くが波留の離脱などもあり、リーグ4位に終わる。この年のオフにローズと駒田が退団、マシンガン打線の終わりを迎えることとなった。