たかのプロ野球雑談記

野球が好きな大学生です。野球メインでたまに漫画の話もします。

捕手からのコンバートに成功した選手〜セ・リーグ編〜

前回に引き続き、捕手からのコンバートに成功した選手を紹介していく。今回はセ・リーグの選手を見ていこう。パ・リーグの選手の記事はこちら

 

1.衣笠祥雄(広島)

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まず紹介するのは2018年に逝去された故・衣笠祥雄さん。2215試合の連続試合出場日本記録を持つ。1974年までの背番号が28だったことから横山光輝の漫画「鉄人28号」にあやかり「鉄人」の愛称でよばれる。

同じ1946年生まれの山本浩二とYK砲と呼ばれ、赤ヘル打線を牽引した。YK砲によるアベック本塁打86本は、王貞治長嶋茂雄のON砲のアベック本塁打106本に次いで、日本プロ野球歴代2位となっている。

 

捕手として1965年に広島に入団するが、内野手に転向する。1984年に打率.329、31本塁打、102打点で広島のリーグ制覇、日本一に貢献し、シーズンMVPに選ばれる。

1987年6月13日、当時の連続試合出場世界記録を更新する2131試合を達成。6月22日に王貞治に次ぐ、プロ野球選手で2人目の国民栄誉賞を授与される。最終出場の10月22日までに2215試合連続出場を続けた。

 

2.山崎武司(中日→オリックス楽天→中日)

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捕手としてプロ入りするも、当時中日には正捕手の中村武志がいた。1989年に一軍初出場するが、その年の10月15日の広島戦で正田耕三に5盗塁を許してしまい、結果として外野手にコンバートされた。

1990年にはちゃんこ鍋屋を訪れた際に近隣の精肉店で火事が起き、ちゃんこ屋店主とともに精肉店一家を救出し、消防署とセ・リーグから表彰された。

1996年には松井秀喜や同僚の大豊泰昭を抑え、初の本塁打王のタイトルを獲得する。

1999年9月26日の阪神戦9回裏に福原忍から逆転サヨナラ3ラン本塁打を放ち、前日までの起用法に不満を持っていた山崎は、一塁へ走る際にベンチの星野監督に「おっさんボケ〜!俺を出しとけばちゃんと打つんじゃ!」と言い放った。

 

楽天移籍3年目の2007年、歴代2位の39歳で本塁打王打点王を獲得した。両リーグでの本塁打王の獲得は、落合博満タフィ・ローズに続く3人目の快挙であった。

 

3.江藤智(広島→巨人→西武)

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関東高等学校では通算61本塁打を記録し、「東の江藤、西の谷繁」として名を馳せた。

1988年ドラフトで捕手として広島に入団する。

1991年、広島の正捕手に達川光男がいたことや、肩を壊したこと、打撃を生かす為もあり捕手から内野手に転向。1993年には本塁打王、1995年には2度目の本塁打王に加え打点王のタイトルも獲得する。

1999年オフにFA権を行使し、巨人に移籍。

巨人初年度の2000年には、この年で最後の表彰となった最多勝利打点のタイトルを獲得し、巨人のリーグ優勝と日本一に貢献した。

 

4.飯田哲也(ヤクルト→楽天)

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捕手として1987年にヤクルトに入団するが、1990年には主に二塁手で試合に出場、1991年には新入団のジョニー・レイが二塁手に拘った為、中堅手にコンバートされた。その後、1997年まで7年連続で中堅手ゴールデングラブ賞を受賞。これは、セ・リーグ中堅手では山本浩二の10年連続に次ぐ歴代2位の記録である。

1992年には盗塁王に輝き、1990年代のヤクルト黄金期を支えた。

 

5.村上宗隆(ヤクルト)

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ヤクルトには内野手登録で入団するものの、高校時代は強打のキャッチャーで、「肥後のベーブ・ルース」の異名で知られていた。

2年目の2019年に高卒2年目以内の選手の、NPBタイ記録となる36本塁打NPB記録となる96打点を記録するが、打率は規定到達者最低で、シーズン184三振はセ・リーグ記録及び日本人記録であった。

しかし2020年には打撃がさらに進化し、リーグ5位の打率.307を記録、自身初の打撃タイトルである最高出塁率にも輝く。共にリーグ2位の28本塁打、86打点と、2021年以降のシーズンでの三冠王も十分に期待できる選手と言える。

 

 

 

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