2020年日本シリーズは2年連続の4タテで福岡ソフトバンクホークスが制した。シリーズMVPに選ばれたのは今年大ブレークした栗原陵矢。登録は捕手ながらも主に外野手として活躍した。ホークスには不動の正捕手、甲斐拓也もいる為、今後も栗原は捕手以外として試合に出場していくのかも知れない。
今回は捕手としてプロ入りしながらも、後に内野手や外野手に転向し成功していった選手を紹介していく。まずはプロ入りがパ・リーグの選手を5人見ていこう。
1.小笠原道大
まず紹介するのは「北の侍」、「ガッツ」、「ミスターフルスイング」こと小笠原道大。
内野手としてプロ入りしたが、1年目の1997年は捕手としてのみ試合に出場。2年目の1998年には捕手に転向するが、1999年には再び内野手にコンバートする。2000年以降、捕手として試合に出場することは無くなった。
生涯打率は.310で4000打数以上の全選手の中では9位という類い稀なバットコントロールを持ちながら、シーズン30本塁打以上を10回達成するという長打力も持つ。
.300、30本塁打以上を9回達成するのは王貞治に次ぐ歴代2位である。
2006年オールスターでは阪神の藤川球児と全球ストレートの名勝負をする。
FAによる巨人移籍時、「ヒゲ禁止」の巨人の伝統の例外として渡邉恒雄球団会長よりヒゲを容認されるが、新しいことが始まるケジメとしてトレードマークのヒゲを剃った。
日ハム最終年の2006年、巨人入団初年度の2007年にはそれぞれのリーグでMVPに選ばれる。セ・パ両リーグでのMVP獲得は江夏豊以来の2人目であった。
日ハム時代の「小笠原村には〜」から始まる応援歌稀に見る神曲。
2.和田一浩
「ベンちゃん」、「輝く男」などの愛称で呼ばれる和田一浩もプロ入り時は捕手であった。
西武入団6年目の2002年に外野にコンバートし、その年に30歳で初の規定打席到達するという非常に遅咲きの選手であった。
2007年オフにFA権を行使し、地元岐阜県に最も近い中日ドラゴンズに入団。
2010年には、.339、37本、93打点とチーム三冠の大活躍。中日の4年ぶりのリーグ制覇に貢献することとなった。同年、38歳で当時セリーグ最年長(2016年、広島の新井貴浩が39歳で更新)のリーグMVPに輝く。
3.礒部公一
1996年のドラフトで近鉄から3位指名され、ドラフト翌日に当時の近鉄監督、佐々木恭介がヘリコプターで磯部の説得に向かったこともあり、近鉄に入団。当初は「打てる捕手」との期待をされていた。
1年目の1997年から捕手や外野手として一軍の試合に出場していたが、2001年からは外野手に専念し.320、17本、95打点の成績を残し近鉄最後の優勝に貢献。
オリックスとの球団合併計画が浮上された際には、近鉄の球団会長として反対運動に奔走するも阻止することはできなかった。近鉄消滅後には、分配ドラフトで楽天に入団した。
4.銀次
本名は赤見内(あかみない)銀次。当時の楽天の野村監督が「呼びにくい」と言ったことから登録名を「銀次」にした。
一度も一軍公式戦でマスクを被ることなく、入団4年目の2009年に捕手から内野手に転向。
2013年にはリーグ4位の打率.317で球団初のリーグ優勝、日本一に貢献する。
2019年4月7日のオリックス戦でベンチ入りしていた全ての捕手に代打が送られた為、一軍公式戦で初めてマスクを被ることに。延長12回までの4イニングを守りきった。
5.近藤健介
最後に紹介するのは日ハムの近藤健介。
高校卒業後、捕手として2011年のドラフト4位で日本ハムに入団。
2017年に53試合231打席で打率.413、出塁率.567という驚異的な数値を残した。打率.413はシーズン100打席以上の選手としては歴代最高である。
2019、20年には最高出塁率のタイトルに輝く。2019年のパ・リーグの打撃タイトルは近藤の最高出塁率以外は全て西武の選手が獲得しており、表彰式の際、近藤は「西武の一員になった気分です」とコメントした。
以上、捕手から転向し成功したパリーグの選手5選であった。後半ではセリーグの選手も紹介していきたい。ではまた!