長いプロ野球の歴史において、様々な珍しい試合が中止やノーゲームとなった原因があります。今回はそれを見ていきましょう。
1.火災によるノーゲーム
1951年8月19日、悲劇が起こる。中日スタヂアム(現・ナゴヤ球場)での中日対巨人戦3回裏、中日の4番の西沢道夫がバッターボックスに入った際、ネット裏から火の手があがった。火は一瞬にして燃え上がり、試合を観戦していた観客はパニックに陥った。球場は全焼し、死者4人、負傷者318人を出す大惨事となった。原因は床板の隙間から落ちた煙草の吸い殻が引火したことであった。当時10歳の高木守道はスタンドで兄とともにこの試合を見ていたという。この日以降のシーズンの残りの主催試合は近隣の球場で行われた。
2.球場設備破壊による試合中止
1964年6月30日に広島市民球場で行われた広島対阪神戦で事件が起こる。2回裏、無死1、2塁の場面で広島の阿南準郎の打ったバントフライを、阪神の石川緑が直接捕球したかワンバウンド捕球したかで審判の意見が食い違う。両軍の抗議で2時間半試合が中断され、結局試合はノーゲームとなった。これに怒ったファンがグラウンドに乱入し、防球ネットや放送ブースなどの場内の設備を破壊した。結果、7月1日、2日に行われるはずだった試合も中止となった。
3.荷物が届かず試合中止
1979年7月13日の日本ハム対南海ホークスの試合は前代未聞の理由で中止となることになる。この2日前の7月11日、東名高速道路の日本坂トンネルで渋滞を原因とする大火災が起こる。鎮火に時間がかかり、東名高速道路と迂回の為の一般道は大渋滞することとなる。7月12日の日本生命球場での近鉄戦を終えた、南海の荷物を積んだトラックは次の試合が行われる後楽園球場に向かうが、上記の渋滞に巻き込まれてしまう。結局、7月13日の試合開始までに後楽園球場には南海ホークスの動画は届かず、この日の試合は中止されることとなった。史上初の道路の事故渋滞によるプロ野球の試合の中止である。
2004年の近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併発表を契機としてプロ野球再編成問題が起こる。選手会会長のヤクルトスワローズの古田敦也を筆頭に経営陣との交渉を進めるが、巨人オーナーの渡邉恒雄は「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と一蹴。その後も対立は続き、9月17日、18日に日本プロ野球史上初のストライキが挙行された。ストライキの期間中に各球団の選手会は握手会やサイン会などの催し物を行った。
5.火山の噴火による中止
1978年7月28日〜30日に鹿児島県の鴨池野球場でクラウンライターライオンズ対ロッテオリオンズの3連戦が行われる予定だった。しかし、桜島の噴火による降灰の影響でこの試合が中止となり、代替試合が9月23日・24日(24日はダブルヘッダー)に行われることとなった。
以上、プロ野球が中止となった珍しい原因の紹介でした。